概念

タヌキが現在のような滑稽なイメージになったのは、実は近世以降のことであり、我々の知るようなイメージが古代以来伝えられたものと考えるのは誤りであるという。 江戸時代になって、民俗イメージの中のタヌキは腹がふくれ、大きな陰嚢をもつようになり、やがて「腹鼓(はらつづみ)」まで打つようにまでなったが、鎌倉・室町時代の説話に登場するタヌキには、ときに人を食うこともあるおどろおどろしい化け物としてのイメージが強い。 御伽草子の「かちかち山」前半の凶悪なタヌキは、おばあさんを騙して殺し、さらにおじいさんを騙して「婆汁」を食わせるが、そのような中世のタヌキ・イメージの名残りを留めるものと見てよいだろう。

タヌキと言えば、巨大な陰嚢をもった意匠が思い浮かぶが、これは金細工の際に、タヌキの毛皮で金を延ばすとよく延びるとされていたことが原形となったもので、転じて福を呼ぶモチーフとして、庭先に飾られるようになったらしい。つまり、かつてタヌキは、金工、金鉱のシンボルとして扱われていた。

この意匠を題材にした「たんたんたぬきの~」という歌い出しの俗謡が有名だが、これは賛美歌「まもなくかなたの」(日本福音連盟制定第678番/原題:Shall we gather at the river?)の替え歌である。

なお、タヌキの剥製に、上記のような姿をさせて飾ることがある。飲み屋などでたまに見かける。ある高等学校の理科教師がタヌキの死体を拾い、剥製屋に標本作製を依頼したところ、「手には何を持たせますか」と聞かれ、通常のタヌキの姿にしてほしい旨を説明するのが大変だったという。


鳥山石燕『画図百鬼夜行』